Hola, Buenos Aires (11) [Argentina 2011]
La Recoleta Cemetary
1822年に設立されたRecoleta Cemetary。ホテルより徒歩数分のこの場所に偶然行き着けた私達はその素晴らしさに圧倒されてしまったのでした。
まるで屋外美術館のような墓碑の数々が立ち並ぶ中を歩いていると、不思議と落ち着いた気分に。
この墓地にはEva Peronが眠っていることで有名。観光客は皆「Eva Peronの墓はどこ?」と迷路のような中を一途に探していくのです。彼女の旧名Duarte Familyの墓がその場所。今も尚花が掲げられています。
Maria Eva Duarte de PeronはPeron大統領の第2夫人。1946年から彼女の死までの6年間アルゼンチンのファーストレディとして活躍した彼女は通称Evitaとして国民に絶大な人気を博したのです。
夫となるPeron大統領とチャリティの集いで出合った時の彼女はB級女優。その後EvaはPeronを支え、見事大統領となってからは厚生省に携わり、Eva Peron基金を開設し恵まれない女性のために活動を開始、労働階級からも大きな支援を受け1951年には副大統領候補にまで検討されました。ところが彼女の体は病魔に襲われていたのです。
1952年、子宮がんのため死去。33歳でした。彼女の死後翌日、ブエノスアイレス中の花屋は品切れ状態になったそうです。数日後の葬儀では「国民の精神的リーダー」の呼称を与えられました。
Evitaの死後Peron大統領は軍事クーデターにより大統領職を追われ、スペインに亡命。Evitaの遺体はイタリア・ミラノに運ばれ、16年後にスペインに移動。母国アルゼンチンに返還されたのは死後26年の1976年だったのです。
Peace be with you.
1822年に設立されたRecoleta Cemetary。ホテルより徒歩数分のこの場所に偶然行き着けた私達はその素晴らしさに圧倒されてしまったのでした。
まるで屋外美術館のような墓碑の数々が立ち並ぶ中を歩いていると、不思議と落ち着いた気分に。
この墓地にはEva Peronが眠っていることで有名。観光客は皆「Eva Peronの墓はどこ?」と迷路のような中を一途に探していくのです。彼女の旧名Duarte Familyの墓がその場所。今も尚花が掲げられています。
Maria Eva Duarte de PeronはPeron大統領の第2夫人。1946年から彼女の死までの6年間アルゼンチンのファーストレディとして活躍した彼女は通称Evitaとして国民に絶大な人気を博したのです。
夫となるPeron大統領とチャリティの集いで出合った時の彼女はB級女優。その後EvaはPeronを支え、見事大統領となってからは厚生省に携わり、Eva Peron基金を開設し恵まれない女性のために活動を開始、労働階級からも大きな支援を受け1951年には副大統領候補にまで検討されました。ところが彼女の体は病魔に襲われていたのです。
1952年、子宮がんのため死去。33歳でした。彼女の死後翌日、ブエノスアイレス中の花屋は品切れ状態になったそうです。数日後の葬儀では「国民の精神的リーダー」の呼称を与えられました。
Evitaの死後Peron大統領は軍事クーデターにより大統領職を追われ、スペインに亡命。Evitaの遺体はイタリア・ミラノに運ばれ、16年後にスペインに移動。母国アルゼンチンに返還されたのは死後26年の1976年だったのです。
Peace be with you.
2012-01-12 21:58
nice!(0)
コメント(6)
あの映画、確か昔に観たけれど、すっかり内容忘れちゃっていました。Cecileさんのブログを読みながら、ふと思い浮かんだダイアナ妃の姿。私も実際に訪れて、花束を供えたくなりました。
by ちづる (2012-01-13 16:10)
南米は、私にとって、ものすごく一部憧れの地域でもありますが、遠く、未知の国
ですね~。
タンゴやサルサや、、、、ものすご~く近年興味の湧いている地域なのですが、日本と
同じくらい遠くなっっちゃったかな。。。
本場のタンゴ!ちらっと拝見できて嬉しいです。
それに、この日の写真、、、、本当に野外美術館のよう。。。。歩いていると心穏やかに
なっていくのが、写真だけでも分かる気がします。
最近は旅もなんだか億劫になってきている自分がいます。。年齢のせいかしら。
実際に生きた、いろんな女性を知るたびに、本当に事実は小説より奇なり、、と感じますね~。
by ラパン (2012-01-13 17:39)
ちーちゃん
映画EVITAは現地ではあまり歓迎されなかったらしいです。というのも聖EVITAとまで崇拝されているのでアメリカ映画は簡単には受け入れられなかったのです。
by cecileyvr (2012-01-14 14:49)
ラパンさん
ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれているのだそうです。他の南米はメキシコしか行ったことが無いので比べるのも何ですが、建物はヨーロッパの香りプンプンでしたよ。
タンゴ、他にも写真を撮ったけれど動きが激しくてブレブレでした~。
実際に生きた様々な女性…現実の重みは素晴らしいですね。
by cecileyvr (2012-01-14 14:53)
don't cry for me, Argentina...マドンナの歌声を思い出しました。
エヴィータ、素晴らしい女性だったのですね。
この墓地、ほんとうに美しいですね。日本のお墓はちょっと怖いけれど、墓地って私けっこう落ち着けて好きなのです。おかしいですか??
by colza (2012-01-14 22:33)
colzaさん
この場所、本当に素晴らしかったです。ガラス張りで中のお棺が見えるのもあったのよ。日本のお墓はちょっと怖い、同感です。
Evitaのお墓はとても質素で、迷路のような墓地の中で探すのに一苦労でした。
by cecileyvr (2012-01-15 08:22)