Hola, Buenos Aires (12) [Argentina 2011]
Buenos Aires市内には洒落たカフェがいくつもあり、朝から夜遅くまで地元の人々で賑わっています。1杯のコーヒーで新聞に読みふけっている人、ショッピングの途中で友達と一息ついている人達等見ているだけで楽しくなってしまいます。「Uno cafe, por favor. 」と注文すると小さなカップに濃厚なコーヒーが注がれてきました。小さなスイーツも漏れなくついてきます。 1週間の旅行中カフェ時間を楽しんだのは2回だけ。というのも日中はとても暑くて(28-30度)、コーヒーどころではなかったのです。ああ、ビール好きな人がいつも一緒にいたというのが最大の理由かな。 笑
緑溢れる街ともそろそろお別れの時間。名残惜しいです。
25Hのお店とも。笑
12月30日は仕事納めの日。昼過ぎともなるとオフィス街ではどこもかしこも紙吹雪が舞っています。何と年末恒例の行事なんだとか。シュレッダーの紙や不要な伝票などなど何でもあり。ダーリン、かなり面白がっていました。
午後2時過ぎは多くの店が閉店。込み合っていたのはベーカリーや食料品店。31日は家族で過ごし、夜からNew Year's Partyに繰り出すのだそうです。
またいつか訪れたい場所となりました、Buenos Aires.
PS: タンゴ音楽と言って思い出すのはAstor Piazzola "Libertango" Yo-Yo Ma演奏のお気に入りアルバムより。
Hola, Buenos Aires (11) [Argentina 2011]
La Recoleta Cemetary
1822年に設立されたRecoleta Cemetary。ホテルより徒歩数分のこの場所に偶然行き着けた私達はその素晴らしさに圧倒されてしまったのでした。
まるで屋外美術館のような墓碑の数々が立ち並ぶ中を歩いていると、不思議と落ち着いた気分に。
この墓地にはEva Peronが眠っていることで有名。観光客は皆「Eva Peronの墓はどこ?」と迷路のような中を一途に探していくのです。彼女の旧名Duarte Familyの墓がその場所。今も尚花が掲げられています。
Maria Eva Duarte de PeronはPeron大統領の第2夫人。1946年から彼女の死までの6年間アルゼンチンのファーストレディとして活躍した彼女は通称Evitaとして国民に絶大な人気を博したのです。
夫となるPeron大統領とチャリティの集いで出合った時の彼女はB級女優。その後EvaはPeronを支え、見事大統領となってからは厚生省に携わり、Eva Peron基金を開設し恵まれない女性のために活動を開始、労働階級からも大きな支援を受け1951年には副大統領候補にまで検討されました。ところが彼女の体は病魔に襲われていたのです。
1952年、子宮がんのため死去。33歳でした。彼女の死後翌日、ブエノスアイレス中の花屋は品切れ状態になったそうです。数日後の葬儀では「国民の精神的リーダー」の呼称を与えられました。
Evitaの死後Peron大統領は軍事クーデターにより大統領職を追われ、スペインに亡命。Evitaの遺体はイタリア・ミラノに運ばれ、16年後にスペインに移動。母国アルゼンチンに返還されたのは死後26年の1976年だったのです。
Peace be with you.
1822年に設立されたRecoleta Cemetary。ホテルより徒歩数分のこの場所に偶然行き着けた私達はその素晴らしさに圧倒されてしまったのでした。
まるで屋外美術館のような墓碑の数々が立ち並ぶ中を歩いていると、不思議と落ち着いた気分に。
この墓地にはEva Peronが眠っていることで有名。観光客は皆「Eva Peronの墓はどこ?」と迷路のような中を一途に探していくのです。彼女の旧名Duarte Familyの墓がその場所。今も尚花が掲げられています。
Maria Eva Duarte de PeronはPeron大統領の第2夫人。1946年から彼女の死までの6年間アルゼンチンのファーストレディとして活躍した彼女は通称Evitaとして国民に絶大な人気を博したのです。
夫となるPeron大統領とチャリティの集いで出合った時の彼女はB級女優。その後EvaはPeronを支え、見事大統領となってからは厚生省に携わり、Eva Peron基金を開設し恵まれない女性のために活動を開始、労働階級からも大きな支援を受け1951年には副大統領候補にまで検討されました。ところが彼女の体は病魔に襲われていたのです。
1952年、子宮がんのため死去。33歳でした。彼女の死後翌日、ブエノスアイレス中の花屋は品切れ状態になったそうです。数日後の葬儀では「国民の精神的リーダー」の呼称を与えられました。
Evitaの死後Peron大統領は軍事クーデターにより大統領職を追われ、スペインに亡命。Evitaの遺体はイタリア・ミラノに運ばれ、16年後にスペインに移動。母国アルゼンチンに返還されたのは死後26年の1976年だったのです。
Peace be with you.
Hola, Buenos Aires (10) [Argentina 2011]
Puerto Madero
1882年に政府の指示によって地域開発プロジェクトに取り組んだ地元ビジネスマンのEduardo Maderoの名をつけたPuerto Madero。現在では高層ビルやレストランも多く並び、ダウンタウンとは一味違ったすっきりとした印象です。
「お台場みたいだね」ってダーリン、ポイントついてるわ。
今日のランチは…とフラフラ歩いて見つけたのは約$15.00のランチブッフェ。清潔な店内は既にお客さんで一杯。メニューもBBQから数種類のアペタイザー、パスタ、何と寿司までありますよ。
私のお皿。まずはシーフードから。ダーリンも同じようなものを取っていました。
そして2皿目。またまた野菜たっぷりのプレートに「どうしていつも同じ様なモノばかり食べるわけ?」といちいち突っ込むダーリン。そう言う彼はライス&シーフード系の煮込みを盛り付けていました。 今の台詞、すっかり返すわ。
Buenos Aires市内には法令によりカジノが認められていません。ところがCASINOの看板があちらこちらに。ガイドいはく、船上に建設されているので法には触れていないという発想。うーん、そういうことね。
カジノ好きなダーリンに付き合って内部をチェック。どうやらお気に入りのカードテーブルが無かったので記念写真だけ。
85歳になるダーリンの叔母を含み、私の周りには何故かカジノ好きな人々が多いのです。「引退したら毎日行きたいわ~」なんて豪語する人も。そんな年寄りには絶対なりたくないな。
1882年に政府の指示によって地域開発プロジェクトに取り組んだ地元ビジネスマンのEduardo Maderoの名をつけたPuerto Madero。現在では高層ビルやレストランも多く並び、ダウンタウンとは一味違ったすっきりとした印象です。
「お台場みたいだね」ってダーリン、ポイントついてるわ。
今日のランチは…とフラフラ歩いて見つけたのは約$15.00のランチブッフェ。清潔な店内は既にお客さんで一杯。メニューもBBQから数種類のアペタイザー、パスタ、何と寿司までありますよ。
私のお皿。まずはシーフードから。ダーリンも同じようなものを取っていました。
そして2皿目。またまた野菜たっぷりのプレートに「どうしていつも同じ様なモノばかり食べるわけ?」といちいち突っ込むダーリン。そう言う彼はライス&シーフード系の煮込みを盛り付けていました。 今の台詞、すっかり返すわ。
Buenos Aires市内には法令によりカジノが認められていません。ところがCASINOの看板があちらこちらに。ガイドいはく、船上に建設されているので法には触れていないという発想。うーん、そういうことね。
カジノ好きなダーリンに付き合って内部をチェック。どうやらお気に入りのカードテーブルが無かったので記念写真だけ。
85歳になるダーリンの叔母を含み、私の周りには何故かカジノ好きな人々が多いのです。「引退したら毎日行きたいわ~」なんて豪語する人も。そんな年寄りには絶対なりたくないな。
Hola, Buenos Aires (9) [Argentina 2011]
Rio de la Plataの対岸はUruguay。Buenos Airesより高速フェリーで約1時間の場所Colonia del Sacramentに到着。Uruguay最古の都市は1680年にポルトガル人によって発見され、その後1822年までスペインとの間で支配が行ったりきたり。ようやく独立国Uruguayの一部となったのです。
古い石畳の道はゆっくり歩くために出来ているよう。この街、信号がないのですよ。
ランチつきのツアーはまたしてもBBQ。うへ~。もうダーリン、食べ疲れて手も出ません 笑 私はガツガツとチョリソーとチキンを満喫。でもビーフには手も届きませんでした。
あまりにも不機嫌そうなダーリン。スペイン語メニューでプディングを発見したので注文してみました。
キャラメル・プディングにかかっているブラウンソースは一体?? これ、Argentina名物のDulce de Leche、濃厚なミルクジャム。一口食べたダーリン、一気に満面の笑みが広がりました。Sweets make people happy!
歩いて小1時間程で回れてしまうほどの街。夕方5時のフェリー集合時間までちょっともてあまし気味。ビール休憩したり
写真をとったりしてのんびり過ごしました。
Hola, Buenos Aires (8) [Argentina 2011]
Argentinaと言えばTango。その昔Tango Argentina公演を東京で観た時、あまりにも密着した動きに「この人達はどうして互いに蹴飛ばさないで踊れるの!!!」とびっくりした強烈な思い出があります。上記写真はLa Bocaレストランでのダンサー。地元出身のガイドいわく「La Bocaはイタリア移民の街。あそこのTangoは観光客向けだね。発祥は別の場所さ」と熱っぽく語り始めました。
19世紀の終わりにBuenos Aires郊外発祥のTango。バンドネオンの音とリズムに合わせ、感情、情熱、そして人生への想いを込めてステップを踏む人々。ダーリン手配のツアーにはTango &Dinnerの夕べが組み込まれていました。ところが場所不明。どこへ行くのでしょうか、私達 笑。 夜8時過ぎにホテルまで迎えに来てくれたバンに乗り込んで到着した先はKing of TangoのCarlos Gardel
豪勢なインテリアです。
案内されるがままに席に着くないなやディナーの注文が取られ、ワインを次々と注ぐウエイターの身のこなしはさすがに慣れたもの。Tangoの歴史を綴ったビデオを見ながらしばしご歓談。
私が注文したのはタルタルステーキっぽいもの
メインはビーフ。これまた2cm以上の厚さで半分で完敗。いやー、ダーリンも同じ状態ですわ。
デザートはチョコレートムース。
隣に座ったのは在Rio de Janeiroの日本人カップル。奥様は英語は全くダメ~、と言いつつ日本語でのおしゃべりが弾みました。
ショーが始まったのは夜10時過ぎ。「ここからは写真、ビデオ撮影はご遠慮願います」というアナウンスにもかかわらずバンバン撮影しまくりのチャイニーズの人々。うーむ、ひんしゅくですね。 ウチはじっと我慢でショーを楽しみました。グループダンスから数ペアによる異なるダンスへと観客を惹き込んでいきます。中でも圧巻だったのは老カップルのダンス。人生の酸いも甘いも知り尽くしたような踊りっぷりがカッコよかった~。
最後に決めてくれたダンサー達のポーズ。かなり観光客向けっぽい場所ですが、Tangoにとっつきやすいオープンさが売りでしょう。 次回は地元の人しかいないようなディープな場所に行きたいですね。
Wonderful night in Buenos Aires.
Hola, Buenos Aires (7) [Argentina 2011]
Iguazu FallからBuenos Airesの同じホテルに戻ってきました。そして翌日は市内観光。チリ出身の運転手兼ガイドのHaroldの車で巡っていきます。まずはEvita Peronの像。昨日この辺りをフラフラ歩いていた私達、すっかり見落としていました。ガイドブックは良く読むべきです。 汗
そして中心地へ。
観光客も溢れていて、更に公的訪問者があるようで警官も多く出頭していて駐車も一苦労。歴史的建造物に指定されているCasa Rosada(Pink House)。元々は牛の血と砂を混ぜた色だったのです。映画「EVITA」にて彼女がこの建物のバルコニーから演説したシーンを思い出した人も多いのでは。
Congreso de la Nacion Argentina
Buenos Aires Metropolitan Cathedral。時間が限られていたので中には入れませんでした。惜しい~。
続くはイタリア移民が最初に住み着いた街、La Bocaへ。カラフルな色合いが特徴です。
そしてArgentinaと言えばやっぱりこの人。
Hola, Buenos Aires (6) [Argentina 2011]
Brazil,ArgentinaにまたがるIguazu Falls。双方ともにNational Parkとなっていて、公園内にはホテルが各1件ずつ。私達が泊まったのはArgentina側のSheraton Iguazu. バルコニーから滝が見えま~す。しかも公園内なので入場料を払わなくとも何度もトレイルに行けてしまうのです。ああ、贅沢。
ディナーはホテル内のレストランで。昼間の汗をシャワーで流し、シャツも着替えてこざっぱりしたダーリン。一方私は最低限1泊旅行パッキングで来てしまったのでディナー用の服なんて持ってきませんでした。ああ、反省。
メニューを選ぶに当たって慎重派(というか周りに気を散らしすぎ?)のダーリン、隣のテーブルに座った家族に注目。彼等はブッフェを注文したのですが、奥さんと娘さんはサラダだけ、息子達は山盛りのBBQを半分以上食べきれずに残しているのを見て
「父親が家族のために注文したというありがたさを彼等は分っていないね」 と一言。色々とウンチク親父になってますな。
気を取り直してまずはワインで乾杯。(やっぱり飲みから、な私達) もちろんArgentina wine.
ブッフェかコースかと迷ったけれど、3日目にして既に肉を見飽きてしまったダーリン、シーフード料理のコースに決定。しかも値段は何故かブッフェよりも安い。「差額でもう1本ワインが飲めるね」ああ、そういうことね。
まずはムール貝とホタテのマリネ。美味~。
のんびりと飲みながら食べるのが好きなダーリン、ウエイターにはゆっくり運んでくるようにとまでお願いしています。メインは地元で採れた川魚。名前を忘れてしまいましたが白身をグリルしたもので2人とも大満足。
BGMのハープのおじさん、My Way等のちょっとオールディーズっぽいお馴染み曲を奏でてくれます。
更にワインも進み、いつのまにか2本目に突入。ダーリンの飲みの勢いは相変わらず凄いものですわ。ワインを飲みながらのデザート。パッションフルーツのムースはハート型。普段はデザートを食べないダーリンもペロリ。
お腹いっぱいの夜は更け、翌朝はちょっと二日酔いになっていた私でした 笑
Hola, Buenos Aires (5) [Argentina 2011]
今回の旅の目的のひとつに「Iguazu Fallsを見る!」がありました。Buenos Airesより空路約2時間でIguazuに到着。ブラジルとアルゼンチンにまたがるIguazu Fallsは80m以上の高さ、3kmに及ぶ広さ、200以上の滝がある世界遺産のひとつ。更に2000種以上の植物が育っている自然の宝庫でもあります。
イグアナ君も。
ラクーンはバンクーバーよりも小ぶりかな。
いよいよ滝巡り。
トレイルも色々あり、結構楽しめます。日頃歩きなれていないダーリンはほんの10分で汗だく 笑
自然のギフトをお楽しみください♪
メインのGarganta del Diabloまでの道はかなりの人々。
いよいよ現れましたっ。
用意周到にウィンドーブレーカーをかぶっている日本人観光客以外は皆水浸しで楽しんでいます。あまりにもすごい人混みで写真を撮るのも一苦労でした。
Gift of God.
イグアナ君も。
ラクーンはバンクーバーよりも小ぶりかな。
いよいよ滝巡り。
トレイルも色々あり、結構楽しめます。日頃歩きなれていないダーリンはほんの10分で汗だく 笑
自然のギフトをお楽しみください♪
メインのGarganta del Diabloまでの道はかなりの人々。
いよいよ現れましたっ。
用意周到にウィンドーブレーカーをかぶっている日本人観光客以外は皆水浸しで楽しんでいます。あまりにもすごい人混みで写真を撮るのも一苦労でした。
Gift of God.
Hola, Buenos Aires (4) [Argentina 2011]
12月のアルゼンチンは夏真っ盛り。日中は28℃以上。ちょっと歩くだけで汗だくです。
さて、そろそろお腹が空いてきました。アルゼンチンの代表料理といえばアルゼンチン・ビーフ! ところが慎重派ダーリンはむやみに注文せずに周りのテーブルを伺っています。
「おおっ、あのすごい量のバーベキュー!」 と言われてみて見るとカナダ以上のボリューム。そこで我々はアペタイザーのBeef Kidney(だったかな?)を注文。青みがかっているのはパティオ席の青いパラソルの下だっから。程よく焼きあがった肉はジューシーで旨味&ボリュームたっぷり。キーンと冷えたビールとともにいっただきま~す。
何かと周りに注目しているダーリン、観察していると結構面白いです。 笑
観光客の人々は名物バーベキューを注文しているけれど、食べきれないのが殆ど。ところがそこは慣れている店の人々、手付かずの肉をオーダーした人の了解を取ってフラリと立ち寄ったミュージシャンに包んでいたり、別テーブルではホームレスっぽい人がこれまたフラリと立ち寄って一切れ頂いています。 これまたラテン感覚なのでしょうか。
夜は先日見つけたパブで一休み。酒類の多さに大興奮のダーリン、
「バンクーバーのパブはこの違いに恥ずべきだね」 とまで唸っていました。私はMalbecが飲めればハッピーなんだけれどな。
Hola, Buenos Aires (3) [Argentina 2011]
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは人口約290万人、ブラジル・サンパウロに次ぐ南米第2の都市。古くはスペインの植民地、そして19世紀にはヨーロッパからの移民の新天地となったため、オペラや劇場、映画等ヨーロッパ同様の文化がそのまま発展し、更に建築様式も引き継がれているのです。
街には高くそびえる木々の緑が自然のシェードを作り、歩いていても本当に気持ちが良い場所。と思いっきり観光客して写真を撮っていると地元の人に「普通の場所を無断で撮影するとは非常識だ!」とどやされたので、その後はちょっと警戒しながら。
dog walkerが何匹も引き連れて散歩しているのに何度も出会いました。ああ、落し物もたっぷりです 笑
リーダーは君、だよね。